2022年9月20日放送のテレビ番組『仰天ニュース』で、日航機ハイジャック事件が取りあげられ話題となっております。
犯行グループの最高幹部は日本赤軍の女性であり、名前は「重信房子」。
今回は重信房子氏の壮絶すぎる生い立ちや、経歴•学歴について調べて見ました。
また現在はがんを患っており、闘病生活をされているとも明かされておりますが本当でしょうか。
重信房子の生い立ち
テロリスト集団•日本赤軍の女性最高幹部である重信房子氏。
ここでは重信房子氏の生い立ちを調査しました。
東京都世田谷区で4人兄弟の次女としてこの世に生まれました。
幼少期は文学を好んでおり、将来は小学校の教員や小説家になることを夢見ていたとのこと。
重信房子氏は、父•重信末夫の影響を強く受け、少女時代は「小さな親切運動」に熱心に取り組み、表彰を受けたとのこと。
そして、その夢を持ったまま大学生となった重信房子氏。
当時の大学生の間で盛んだった、学生運動に参加することとなったそうです。
しかし、重信房子氏の人生を変える、出会いがこのあと待ち受けておりました。
それは連合赤軍となる「遠山美枝子」と出会いです。
遠山氏は仲を深めた重盛氏は以降、共産主義同盟に加入し赤軍派の創立メンバーに加わることとなります。
重信房子の学歴は?出身校や偏差値を調査!
続いては重信房子氏の学歴についてまとめてみました。
- 出身高校:東京第一商業高校
- 出身大学:明治大学文学部史学地理学科 夜間学部
【出身高校】東京第一商業高校
重信房子氏の出身高校は「東京第一商業高校」であることが明かされております。
東京都立第一商業高等学校
〒150-0035 東京都渋谷区鉢山町8−1
出典:minkou.jp
東京第一商業高校の偏差値は「45」です。
偏差値だけを見てみると決して高いとは言えませんが、財界で活躍する人材を多く輩出しているとのことでした。
【出身大学】明治大学文学部史学地理学科 夜間学部
重信房子氏の出身大学は「明治大学文学部史学地理学科 夜間学部」です。
〒101-8301
東京都千代田区神田駿河台1丁目1
明治大学の偏差値を調べてみると「62.5」でした。
高校卒業後はキッコーマンで働きながら、小学校教員を目指しており、明治大学の夜学に通っていたそうですね。
大学時代には一時、明治大学の文学研究会に入会し「一揆」というミニコミ誌を出していたそう。
当時はかなりハードなスケジュールをこなされていたことが伺えます。
重信房子の経歴を調査!連合赤軍立ち上げから逮捕までまとめ
ここからは重信房子氏の経歴をご紹介します。
重信房子氏は大学時代に、学生運動に参加していたことは先で述べましたね。
当時参加していた運動の内容とは、学費の値上げに反対する「明大闘争」と呼ばれるものです。
明大闘争に参加した重信氏は、その後、連合赤軍となる遠山美枝子氏と出会い親友になります。
画像は遠山美枝子氏
そして1970年代には「日本赤軍」を結成することに。
重信房子氏は、日本赤軍で最高指揮者となりました。
尚、1972年に親友の遠山美枝子氏は死去しております。
71年末には赤軍派と革命左派(京浜安保共闘)が合体して連合赤軍になり、72年1月から2月にかけて、群馬県の山岳ベースで同志12人を殺した。死者の1人が遠山美枝子である。
引用:東京新聞
以降、重信房子氏を筆頭に、ハイジャック事件や無差別事件などを起こすこととなります。
しかし、重信房子氏は2000年11月に逮捕されてしまいました。
逮捕のきっかけとなったのは「ハーグ事件」と呼ばれるものです。
ハーグ事件は1974年に起こっており、フランス大使館に人質を確保した状態で立てこもった事件となります。
日本赤軍は、フランス当局に捕まっていた仲間を取り戻すため、フランス大使館を襲うことに。
その時、大使などを人質に取った上で、立てこもったとのこと。
仲間を連れ戻すことに成功しましたが、重信房子氏は後に国祭指名手配をされてしまいました。
以降、重信氏は20年以上逃亡し、偽造パスポートで日本に不法入国。
大阪のマンションで潜伏していたところを、公安に見つかり「旅券法違反」の疑いで逮捕されました。
「頑張るからね」。平成12年11月、大阪府警に逮捕され、新幹線で移送中だった女は、ホームで両手にはめられた手錠を高く掲げながら叫んだ。
引用:産経新聞
逮捕されてからは、無期懲役を求刑されております。
しかし、2022年5月28日の午前8時前に、刑期満了で出所されました。
重信房子の闘病生活が壮絶すぎる!現在がんを患っている?
重信房子氏は服役中に、小腸にがんが見つかり大腸•子宮•卵巣などあらゆるところに転移しているとのこと。
そのため、4度の手術を受けているそうです。
刑期中にがんを患い、4回の開腹手術で9つのがんを摘出しておられるのだそう。
出所前にもポリープが発見され、出所後も治療の継続が必要とのこと。
手術はいずれも成功しておりますが、現在は76歳ということもあり体調が良いとは言えない現状です。
今でも抗がん剤治療はしているそうで、今後もリハビリ生活をしながら闘病をしていくとのことでした。
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